何もしていないように見えることも必要
何もしていないように見えることも必要
支援者は、誰かが動くと自分も動かないといけないと、思います。でもそれは、未熟な組織の段階です。チームプレイができるようになると、誰かが動いたら、自分はみんなを見ている、こうなって始めてチームプレイができるようになります。こういうチームプレイができるようになると問題ないのですが、そうでない場合、みんなを見ている支援者は何もしていないように見えます。でも、この何もしていないように見える支援者がいるからバランスが取れるのです。この内容は、簡単であり、以上です。
問題行動ではなく行動問題
自分も長い間、問題行動という言葉を使ってきました。ABAを勉強するうちに出会った本に、問題行動ではなく、行動問題とありました。問題となるその人の行動、いや、その行動を引き起こす問題がある。大きな視点の転換でした。それ以来、ある行動を検討する時に、その人を取り巻く環境を考えるようになりました。そして、長く続けた研修では、そのことを伝えてきました。ですが、多くの場で問題行動という言葉を聞きます
埼玉にいた頃に、かなり激しい破壊行為をする方がおりました。他害行為もありました。その方は、精神病院に入ってましたが、受け入れました。入所施設にいたときに受け入れたのですが、ガラスは一枚割りました。他害行為が始まったら制止が効かず、ある日他の利用者の眉間を目掛けてパンの作業に使う番重を振り回し、数針縫うケガを負わせました。もうこれ以上受け入れは無理かと思った時に、ケガを負わせた本人の母親がお互い様ですから一切謝罪は入りませんと、言ってくれました。その翌日、母親と本人に来てもらい、本人に聞きました。本人の太田ステージは、言葉で質問し、答えることのできるⅢ−2です。本人は、精神病院よりもここにいたいと答えました。その翌日からです。本人の、問題行動と言われてきた行動は無くなりました。
破壊行動も他害行動も実は他者の注目を引くための行為だったのです。これもABAにあります。注目を引く行動だから、周りは本人の問題となる行動にその場で反応していたのです。心理学で言う強化というやつです。そういう行動に本人が考えなければいけない場面がなかったのです。だから、その行動に対する本人の意思が表現された後、本人の周りの注目を引く行動は消えました。
しかし、本人は入所から通所に移った時にまた同じ行動が始まりました。一度始まると理由は関係ないのです、とにかく続くのです、その頃に、自分が入所から通所へ移動になり、再度本人と関わるようになりました。時間はかかりましたが、再度本人の問題となる行動は消えました。
何を言いたいのか、問題となる行動を引き起こしている、周りの行動があることを見過ごしてはいけないのです。
