風の丘 高松市にある LIT  は爽やかな風を運ぶ それは障がい者が町中で生活するということ

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発達障がいの科学

発達障がいの科学

太田ステージの最初の研修会(お披露目)の時に、太田先生がおっしゃった言葉です。とても印象に残りました。多くの研修会、各事業所の研修会でもいいです、重度、最重度、自閉症、知的障害、等々本人たちを説明するとても曖昧な言葉が使われることが多いのではないでしょうか。

太田ステージの共同開発者が永井先生です。永井先生が話しておりました、カルテに書かれた判読不能に近い太田先生の書いた字を整理して、太田ステージに行き着いたと。太田ステージは、田中ビネーの検査項目の一部を使います。そして、太田ステージⅠ、Ⅱ、Ⅲ−1、Ⅲ−2のように、段階で分けます。ピアジェの発達理論に基づいております。本当に簡単な検査です。後に永井先生が、自分に言ってました。「今では太田ステージのことを知っているかのように研修の講師を務めているけど、最初はこんなので何がわかるのかと思っていたでしょう」と。

そう思わせるぐらい簡単な検査です。でも、ⅠとⅢ−1の間にⅡが存在すること、そしてⅢ−2まで、明らかに発達状の質的差があります。このことは、入所施設が開所したときに、太田先生に太田ステージで施設利用者を整理するようにと言われ、全体を見た時に明らかに質的な差があることを理解しました。これなら客観的な基準として使えると思いました。


自分にとっての発達障がいの科学は、太田ステージだけではありません。ある時、と言ってもかなり前のことです。テレビの特集番組でアメリカのABAを報道しておりました。ABAを知らない自分がその番組を見て、徹底的に記録を取り、それを本人理解につなげることに、ものすごく興味が湧きました。入所施設にいた時のことです。自傷の激しい方がおりました。右側頭部への繰り返される自傷(後に外傷性の白内障になりました)場面が変わる時に床に立ったままの姿勢から頭を打ちつける、日常繰り返される自傷でした。特に右側頭部への事象は激しかったです。右側頭部への自傷ですが、内出血は低いところに血が移動しますから、右目に青たんができます。それを家族が心配し、自傷が出たら家に帰して欲しいと要望してきました。しかし、現場は家に帰っても同じことをするのだから家に帰すことに意味はないとの意見でした。答えを出せないままに時間が経過してしまい、ある時父親が話に来るということになりました。父親は弁護士界の重鎮と言われるような方です。

ABAを知っていたこともあり、記録は欠かさずつけておりました。全ての記録をつなぐと2メートルにもなりましたが、その記録を見てもらい父親に説明しました。これを見て分かる通り、自傷は一定期間を置いて変わっていく、だからこのままの状態で任せてほしいと。父親は納得し、帰って行きました。これで問題が解決したわけでは、ありません。ですが、見通しを持って支援を行なっていくことができました。

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