できないようにすること、果たして
できなくする、言い換えると
できなくすること、言い換えると抑制とか拘束とか言います。抑制・拘束というと、何かとんでもないことのように思えますが、そうとも言い切れないと思います。日常の活動でたくさん出てくる場面ではないでしょうか。
まだ行動障がいが今ほど注目されなかった時です。ある施設で、拘束服を着させられた利用者の方がおりました。そこは市の施設で、交代で県から施設長が来るところでした。ある時の施設長はよく知っている方で、その方から今の施設で拘束服を着させられている利用者がいる、この拘束服を何とかやめさせることはできないかとのことでした。依頼を受け、その施設に出かけました。ちなみにその拘束服というのは、両手を袖に入れると前側でクロスして、手を動かすことができない服でした。
自分がどう見ても拘束服の必要のない利用者の方でした。ということは、職員の意識を変える必要があると判断し、定期的にその施設に研修に出かけることにしました。順番に説明しますと、
まずは本人理解です。今ではアセスメントと言うでしょうか。太田ステージⅡの方で、においに対して過敏の方で、特に刺激臭に対してしつこく関わる方でした。柑橘系の香り、においのきつい内ばきのにおい、等々です。柑橘系の香りはなければ問題ないのですが、内ばきはいつもあり、それを撤去することもできません。そしてそのにおいを嗅ぐために、鼻に擦り付けるようにする、それを繰り返していると鼻の周りに傷ができる、さらに続けるため血が出ると今度はその血を拭くことを続ける、結果身体中血だらけになってしまう。こうして、血だらけになることを避けるために拘束服が考えられたわけです。
次は、本人の日中活動です。何もしていないのです。当時、入所施設で何もしていない施設はいくらでもありました。何もすることがないと、当然自己刺激に浸る、これでは当然こうなるでしょう、ということです。
細かいことは省略しますが、結果的に拘束服をやめることができました。両親は何も言えなかったと、感謝されました。今では、拘束に対し、代替えがないこと、緊急性があること、生命の危険があること、等々指標が示されています。このような指標があることは大切なことなのですが、なぜ拘束服が職員間で認められていたのかということです。職員は、感覚が麻痺してしまうことがあるのではないかと思いました。職員の意識を変えればいいことですので、そう難しいことではありませんでした。職員を信じましたから。
でも、拘束などと言わなくとも、そういうことができないようにすることを職員はしてしまうのではないでしょうか。してはいけないとは言いません。ただし、そのことに対する感覚が麻痺してしまった時のことです。
例えば、飛び出しの方がいるとします。危なくてどこにも連れていくことができない、では普通に暮らしていくことができません。連れて行くけど、常に手を握ったり、服を持ったり、本人の行動を抑制し続けるとしたら、どうでしょう。本人は、いつまでも学習しません。当然危険なところでは、安全対策をとるでしょう。でも、危険が予測されないところでは、やはり本人にちゃんと教えないと学習しないし、職員を意識して行動することも身につかないのです。
埼玉の施設にいた頃に、東京に演劇を見に行ったことがありました。かなりシビアな人たちですので、当時管理者であった自分も一緒に行きました。その帰りです。東武東上線という乗降客の多い路線で、一人の男性の利用者の興奮が始まりました。緊張がほぐれて爆発したとしか思えませんでした。この方は、興奮すると人を突き飛ばす、近くにいる人に噛み付くという方でした。しょうがない、本人を座席に寝せ、押さえました。しばらく続きました。気がついたら、その車両には我々以外誰もいませんでした。
